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ぼくの夢であり、父の夢でもありますが、将来家族で一チームを作り、実業団の試合に出場してみたいということです。夢が実現するよう家族ひとりひとり、がんばって稽古を続けていきたいと思います。

 

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『剣道で学んだこと』
鳥取県米子市
米子武道館
小学六年生

 

倉敷佑人

 

「ぼくは負けない。」日本武道館の椅子に座って、何度も自分にいいきかせました。米子武道館を代表して、全国大会にのぞみ、自分の責任ある役割を果たせるのか、不安でたまりませんでした。
広いコートを見回すと、全国から集まってきた選手の気迫にのみこまれそうになりました。
今こそ、五年間剣道を通じて学んだ、「自分を信じる時だ」と思いました。
ぼくは、三歳のころから喘息で苦しみ、友達と外で元気よく走り回ることが苦手でした。家で静かに遊ぶのが好きで、友達もあまりいませんでした。小学校に入学してからも、体育は特に苦手でした。
ぼくは、強い身体になりたいと思っていました。そんな時、喘息を治すなら剣道がいいらしいと、父が本を読んで調べてくれました。ぼくは喘息を治したくて、二年生になるとすぐに剣道を習い始めました。でも、礼のしかた、正座、足運びなどのけい古ばかりでつまらなく、習い始めてすぐに剣道をやめたい気持ちになりました。練習をさぼりたくて、学校からわざとおそく帰ることもありました。「身体の調子が悪い時は、無理せず休みなさい。」と言っていた母も、けい古をさぼることに対しては、ひどくおこりました。無理やり道場に連れていかれて、泣いたこともありました。友達の後ろから付いていくのが精一杯でした。
そんな時、思ってもみないことが起こりました。「倉敷君のきり返しが一番うまい。」と先生にほめられたのです。こんなぼくでも、先生は見守ってくださっているんだと、うれしくなりました。ぼくは得意になって、みんなの前できり返しをしました。それからは、練習のたびにやる気が出て、友達に負けたくないと思うようになりました。
三年生の秋に、初めて補欠として大会に出ることになりました。今まで話をしたこともない先輩方が、「倉敷、がんばれ。」とそばで応援してくれました。「ぼくは、米子武道館の一員なんだ」と実感し、何かとても、安心感を覚えました。
でも、いくつかの試合を経験しても、ぼくにはふっきれないものがありました。どう考えても、剣道は竹刀でたたき合うようにしか思えませんでした。相手に打たれるのも痛いし、相手を打つこともいやでした。だから、試合も逃げこしで負けてばかりでした。この気持ちを母に話したところ、「たたき合いでなく、技のきそい合いだと思ったらどう。」と言われました。「先生に教えられることをとにかくやってみよう。」ぼくは気持ちを切りかえて、前よりも一生けん命練習に励みました。それからは、「くっつき虫」と言われるくらい、相手にせめよりました。
五年生になると、練習試合で勝てるようになり、ついに米子市の大

 

 

 

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